- 世間に知れることのない、ほんとうの姿を伝えたい -
荷物が空を飛ぶ、四角い荷物が丸くなって届く、
真夜中でも集配する、どんな物でも集荷する、
などなど。
怖そうなDRさんに怪しい雰囲気・・・。
平成3年頃、佐川急便の情報はまだまだ少なく、
誤解から多くの怪情報が飛び交っていました
佐川急便に入社を決めた時、
友人知人の全員が考え直すように忠告してくれました
業界大手、日通さんの平均勤続年数が10年、
佐川急便の平均勤続年数は3年
勤続1年で ベテラン でしたから、
世間様にはいろいろと歪んで伝わたようです
東京佐川急便事件を契機に独立採算制から合併グループ制へ移行。
それに伴う激動の人事異動や業務内容の激変、などなど。
その全ては新鮮で強烈で貴重な体験でした。
おかげさまで過去に配信したメールマガジンは100部を達成し、
楡周平氏の作品『再生巨流』執筆の参考にもなりました。
佐川急便は過去にとらわれず、良いモノを積極的に取り入れ、
常に業界をリードし、常に成長し続ける、
日本でも有数のすばらしい会社です。
全社員が今この瞬間も決して休むことなく、
お客様の要望に応えるべく努力しています。
今日ではわたしのつたない経験と比較できないほど
すばらしい会社に変わったようです。
過去の歴史を参考にさらなる成長をとげて欲しい、
そんな思いから経験談を公表しています。
このページが未来の佐川急便を支えるあなた様の参考になれば、
それ以上の喜びはありません
残念ながら掲示板を閉鎖しました。
掲示板閉鎖の経緯はこちらをご覧ください
佐川急便との出会い
あの社長に出会ってなければ、佐川急便にも出会えませんでした。
出会いがとても不思議に、そしてとても大事なんだ と痛感しました。
あれは平成3年2月中旬頃、それまで勤めたガソリンスタンドを辞め、鳶(とび)の友達に誘われ日雇いで生計を立てていました。
当時は土工で日当15,000円、毎日行けば仕事にあぶれません。
木造アパートで家賃4万3千円、男1人の生活になんの不安もありません。
あの充実した日々は今でも良い思い出です。
25歳になっても好きなことだけしかしない本人の幸せとは裏腹に、親の不安は・・・。
ある日、親父に呼び出され、紙工業関係へ就職を勧められました。
親父の心配を反故にする理由もなく、とにかく面接を受けることにしました。
日本橋本石町の赤羽紙工業(仮名です)で課長が面接してくれました。
結果は後日連絡してくれるとのこと。
数日後、結果を社長が直接伝えるので必ず来社するように、と言われました。
社長自ら伝えたいことって何だろう? 何か重大なことがあるのかな?
面接には自信が有ったのですが、結果は不採用、、、
不採用なら電話で済むじゃないか!!
そんな思いを知らず、社長は履歴書を見ながらゆっくりと話し始めました。
「まず、希望年収は600万円以上とあるがこんなに支払えないね。
我社はひとつの商品を販売するためにこれだけの経費がかかっている。」
「我社の仕事は営業がメインだが、君の履歴書では営業経験はまったくないようだね。
希望の給料分だけの仕事を自分で見つけられれば良いが、営業経験のない者が仕事を取れるほどこの業界は簡単じゃないよ。」
「将来独立希望とがあるが、この業界でこの年齢からじゃ、、、難しいね。」
この人は何で呼び出したのだろう? 不採用なら電話一本で済むはず。
不採用なのに、なんで仕事の内容を詳しく説明するの?
話を聞きながら考えましたが、どうしても答えが見つかりません。
「という理由から我社で採用できないが、君は素晴らしいものを持っている。」
???
「給料を多く欲しいとはっきりと言う者はそれだけ働く意志があるってことだ。
楽をしたい人間は金額の話を持ち出さないからね。
君のやる気は十分伝わってくる、君ならどんな仕事であろうと、最大の努力をするだろう。
しかし、先程説明した理由から、我社で君を採用することはできないんだ。
私も若い頃には、同じ思いでがむしゃらに働いたし、趣味も車に音楽と君と一緒だ。
私の若い頃と重なって、何とかしてあげたいと思ってね。
そこでどうだろう、我社が取引をしている運送会社に佐川急便があるのだが・・・。
あそこはやる気が第一条件、給料も相当なものと聞いているよ。
同僚も同年代が多いようだし、将来独立できるとも聞いている。
君は車が好きなんだし、条件は悪くないと思うよ。」
佐川急便? なんじゃそれ?運送屋?
後日、面接していただいた課長と一緒に佐川急便の担当ドライバーと話ができました。
やる気があれば大歓迎、彼の上司に面接を受ければ良い、と助言までしてもらえました。
それから1週間、初めて東京佐川急便に訪れました。
すでに21時をまわっているのに社内は活気であふれています。
満載の大型トラックから降ろした荷物はベルトコンベアに乗ってすごい速さでどこかに流れていきます。
何だか聞き取れない大声で叫びながら、2tトラックから裸で荷物を降ろす人。
よく見るとシマシャツを着たドライバーは誰ひとり例外なく走りまわっています。
よく聞き取れない場内放送が入る度、人の動きが変わります
その動きはまるで映画で見た軍隊のようです。
まだ2月下旬、肌寒い夜空で働いている人達は全員皆汗だくです。
荷降ろし場の端にあるプレハブの2階で多手良係長(仮名です)に面接をしていただきました。
現場から想像した面接試験と違い、佐川急便のことを少し教えてもらいました。
新人の給料は支給額で60万円! がんばればそれ以上支給してくれる!!
多手良係長が担当のドライバーは18人、その平均支給額は80万円!!
出勤時間は朝6時、退社時間は21時を過ぎることもあるらしい。
新人の支給額、つまり私が入社できれば60万円くれるの?
がんばれば80万円も夢じゃない??
なんて会社だ!!
ここでがんばれば将来の資本金も簡単に貯まるじゃん!
先程見た異様な光景も厳しい仕事内容もすっかり消えてしまいました。
すでに帰り道では給料の使い道さえ考えてましたから・・・。
待ちに待った待望の2次試験は東京店本社ビルで人事部徳永部長(仮名です)の挨拶から始まりました。
本社ビル全館に響くかの大きな声、異様にキビキビとした行動。
その動きはテレビや映画の軍人そっくりで、今でも強く印象に残っています。
当日は60人程来ており、面談組と身体測定組に二手に別れました。
身体測定から始まり、面談に入ったのですがまったく呼ばれません。
多手良係長の紹介なので体調に問題なければまず合格。
そう聞いていましたが、それと何か関係があるのかな。
ようやく面接の順番がきた頃は残り2、3名しかいませんでした。
「佐川急便は厳しいよ、やっていく自信はあるかな?」
「私の夢を実現する近道はここにしかありません。
何があっても勤め続ける自信はあります。」
実は私には大きな夢がありました。
それは自動車整備工場を経営すること。
上限なく収入を得るためには経営者になるしかない と思っていました。
「あれ、君は武蔵小金井に住んでいるじゃない、
通勤は無理だよ。とても続かないよ、寮に入りなさい。」
「寮は嫌です。仕事が終わった後も先輩と顔を合わせたくありません。
通勤する自信があるので大丈夫です。」
「絶対無理、今まで通勤できたドライバーさんはいないよ。
悪いこと言わないから入寮しなよ。」
「では、私が第1号になります。」
「う〜ん、本当にだいじょうぶ?」
結局、私の意思を尊重していただき、無理を感じたら即入寮することになりました。
1時間半待った2次試験の会話はたったこれだけです。
2次試験の結果は後日郵送。これが試験かと思うほど短時間で終わりました。
佐川急便で働けるのかな?
多手良係長の言っていたほぼ採用確実を信じて大丈夫かな?
不安を抱えて1週間、長い佐川人生の幕が上がりました。
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